2013.8.18の説教断片

われらの主イエス・キリスト(使徒信条5) ヨハネによる福音書20:24〜29

 もともと「主」とは、ご主人であり、支配者であり、所有者を意味します。私たち人間は、主である神さまによって造られたもの、しもべ、 奴隷のようなものでした。しかし神さまは私たちを憐れみ、御子を十字架にささげるほどに愛してくださいました。 さらに私たちを選び、召し、神の子として引き上げてくださいました。

 私たちキリスト者は、この神の愛にどう応えていくべきでしょうか。その一つが、イエス・キリストこそ「私たちの主」であることを認め、 信仰告白することです。信仰告白は、決して主イエスに対し「ご主人様」」と言ってご機嫌をとったり、ことさらに持ち上げることではありません。

 パウロは言います。「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えない」(Tコリント12:7)。 だから私たちは信仰告白する時、聖霊が働いておられることを意識し、いっそう謙遜の思いをもって告白したいものです。

 最後にトマスの心からなる信仰告白を学びましょう。復活のイエスが弟子たちの前に顕現されたとき、トマスだけたまたま不在でした。 …自分一人だけ取り残されたようで、どんなに口惜しく、悲しく寂しい思いを抱いていました。…再び主イエスが弟子たちの前にその姿を見せられました。 その時、主はトマスの心情を理解し、特別に声を掛けられたのです。トマスは主に向かって「わたしの主、わたしの神よ」と叫びます。

 トマスの疑い深い、頑固な性格は一瞬にして、確固とした信仰に変えられたのです。トマスを通して「見ずして信じる信仰」とその意味が示されました。 さらにトマスの信仰告白は、私たちのキリスト信仰の、大きな模範となりました。(山本修一師)

2013.8.11の説教断片

神のひとり子(使徒信条4) ヨハネによる福音書3:16〜21

 ヨハネによる福音書3章16節は、聖書の中で最も有名なみ言葉の一つです。宗教改革者のルターは、このみ言葉は、「小型の聖書」 であると言いました。わずか三行程度の文章に、聖書の教えの中心、神の愛のエッセンスが凝縮されているからです。

 すでにこのみ言葉を愛唱し、愛吟の聖句としておられる方も多いことでしょう。しかし一面、神さまのあまりの大きな愛を見極めることの困難と戸惑いも感じます。

 なぜ父なる神さまは、「ひとり子なる」イエスをこの世に送り、人間として生活させ、十字架につけ、陰府に下らせ、復活させ、昇天させられたのでしょう。 人の罪を救い、永遠の命を与えるためというのですが、「ひとり子」を与えるほどの神の愛は何でしょうか。 私たちの知らないところで、一方的に、全力を尽くして、絶対的な愛を注いでくださる神の愛とは何でしょうか。

 私たちの信仰の歩みは、この神の愛の「深さ、高さ、広さ」を徹底的に知ること、とことんまで味わうことに尽きるのです。 そして神の愛の究極の表現として、キリストの十字架の意味も理解していくことが求められます。

 聖書は、神さまが私たちに「愛を知るように」「生きるように」と与えてくださったお言葉です。私たちの外なる体は日々衰えても、 み言葉に対して前向きに生きましょう。せめて一週間に一つでも覚える(それは愛を味わうこと)努力をすることをお勧めします。

 悪戦苦闘して覚えたみ言葉、困難なときにであったみ言葉は、やがて主イエスの御前に立つときの、黄金の献げものになることでしょう。(山本修一師)

2013.8.4の説教断片

渇くことのない水 ヨハネによる福音書4:14

 猛暑、暑熱、酷熱の8月です。

 最近では、のどの渇きを感じる前に、熱中症が心配される時代です。

 聖書の中に、「水」に関わるお話がたくさん出てきます。第1に、創世記では、水のエデンの園から流れだし、四つの川に注がれ、 (全世界を)潤した(創世記2:10-14)。第2に、エゼキエル書では、神殿から流れ出た命の水は、湧きあふれ、大いなる川となって、 汚れた水をきれいにし、すべてのものを生き返られた(エゼキエル47:1〜9)。第3に、黙示録になると、神の子羊イエス・キリストの御座から、 水晶のように輝く命の水が川となって流れ出す様子が描写されています(黙示録22:1〜2)。

 この三つの水の話は、それが単に「水」のことではなく、「いのちの水」「霊的な水」があることを指示しているのです。 のどの渇きは、誰でもわかりますが、霊的な渇きを正しく感じ、理解する人は少ないのです。 私たちの人生は、いつも何か満たされない渇きを覚えて生きているのではないでしょうか。

 イエスは言われました。「…私が与える水を飲むものは決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、 永遠の命に至る水がわき出る」(ヨハネ4:14)。

 主イエスを信じる者には「渇くことも、尽きることもない、生ける命の水」を与えると約束してくださるのです。

 そして今日も「心の渇きを満たす水」をあなたに差し出しておられるのです。(山本修一師)

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